森と魔法

魔女や魔法使いの目線で捉える、森や自然のこと。 島根県奥出雲地方にて、予約制の展示室と森林浴のご案内も承ります。

微生物の意思

最近YouTubeで、淡水プランクトンを顕微鏡で観察する動画にはまっています。

 

私は見ているとすごく不思議な気持ちになって。

 

それは個を超えた意思があるような感覚になることがあるのです。

 

例えばプランクトン同士の捕食シーン。

食べられる側のプランクトンがたくさん、そして結構な速さで動いています。

 

周りも同じようなスピードで動き回る中で、よけ切るものもいれば、食べられるものいる。

 

そして食べられるプランクトンは、まるで最初から決まっているかのようにものすごい勢いで、食べる側のプランクトンの口の中に飛び込んでいくよう見えるのです。

 

また、ゾウリムシの細胞分裂はよく失敗します。

体が二つに分かれ切る前に分裂が止まってしまい、そのまま思うように身動きがとれず命を終えることも多いみたいです。

 

しかし時折、分裂が止まってしまった個体の近くにいた他のゾウリムシが、まるで分裂を助けるような動きを見せることがあります。

そういった動画は何本かみかけたので、そう珍しいことでもなさそうです。

 

「仲間を助けたい」という意思ではないかもしれません。

本能と言えるかもしれません。

 

しかし「単細胞生物」という、脳も神経もない、DNAが含まれたたった一つの細胞核を抱えた生物が持てる本能とは、いったい何だと言うのでしょう。

 

 

十数時間、あるいはもっと短いスパンで、置かれた環境のなか誕生と死を繰り返す微生物たち。

 

見ていると不思議と、私たち人間とそう変わらない気がしてくるのです。

その理由はまだうまく言葉にできませんが、個の意識と個を超えた群れの意識の関係性はきっと美しいという、その予感に答えが隠されている気がします。

 



苔の秘密

森に、道端に、
ひっそりと根付いている苔
実は種類によってはかなり清潔だそうで、
昔の人は水苔(写真とは別種)を脱脂綿の代わりに傷口にあてて使っていたとか。

また、倒木などの上に広がる苔は
木々が種から芽吹き育つのに、とても重要な役割を果たします。

小さいながらも、大きな木々が立ち並ぶ森に欠かせぬ存在である苔。

森に行ったらぜひ苔もじっくり観察してみてください。

枯れ木について

どんなイメージを持っていますか?

 

倒木で危険

森が荒れている

林地残材としてもったいない

 

そのどれもが正解です。

それともう一つ、実は枯れ木は

たくさんの生き物たちの住処や栄養源となり、

森の生態系に欠かせない役割を担っているのです。

 

命を終えたかに見える倒木は、

新たに「枯れ木」という役目で新しい生の旅路につきます。

 

そう思うと、

枯れ木や倒木のある森は本当に荒廃しているのでしょうか?

 

森は「常識に照らせば無価値」なものに宿る圧倒的な豊かさを

静かに私たちに示しています。

森と魔法について

誰かのため、自分のため、つい頑張りすぎちゃう人に

自然に心と体ほぐれる森林浴と、森に行けなくてもできるセルフケアをお伝えします。

 

私にとっての魔法は、

科学や医学が発達する前に、それでも誰かの健康と幸せを願って、あらゆる知恵を総動員した祈りでありアートだと思っています。

 

また魔法とは、

その人が自分らしく自然体で喜びを感じるために行うこと。

 

その人の自然体を応援してくれる自然の力を取り入れるものであり、

体心頭をやさしく整えるものとして、森と魔法では森林浴や書くことでのセルフケアをお伝えします。

 

 

何者にならなくても、わたしがわたしを生きるために。

森と魔法の変化の続き

みなさんこんばんは。つながりが回復する森林浴「森と魔法」です。

以前の自己紹介の記事に書いた変化。

「自分のいないところでされているかもしれない会話の妄想が短くなった」について、改めて気づいたことを書いておきます。

 

まず、この「会話の妄想」は「理解されていない、信頼されていない、価値を低く見られているのでは」という不安から来ています。

 

森や魔法を通じて、私の思い悩みグセの時間は確かに短くなりましたが、

それだけではなく「まあその人に分かってもらえなくてもいっか」と気づいて切り上げるタイミングが早く来るようになったと思います。

これは、「その人」が誰であっても。

「分かってもらう」が、事情を理解したり認められなくても、と同じことで。

 

「まいっか、別に」と、フラットにその思考から離れることができることが増えました。

 

つまり、理解されない、信頼されない、価値を低く見られても、「まあ、いいか」と、いい意味で?諦めがつくようになったと言えるかもしれません。

(もちろん、仕事でもプライベートでも、自分の行動の目的を再確認して、やれるだけのことはやった上での手放しです)

 

そして不思議なのが、フラットに離れる方が、その時腹を立ててたとしてもあと引かないし。

事情を理解してほしいと思っていた時より、相手の立場を想像する余地が増える気がします。

 

そのことが、逆に「つながり」の感覚を持てる時さえあるのが不思議です。



 

今度どこかで、私が木々を見ると謎の血縁感覚?を持つようになったお話を書いてみようと思います。

スギは邪魔者?

さて、先日の記事でも話題にした「花粉症」

その原因として一番ポピュラーと言えるのがスギやヒノキ花粉です。

花粉症の方からは目の敵にされがちなこの針葉樹たち。


ではなぜ現代日本に杉や檜が多く生えているのでしょう?

 

それは実は第二次世界大戦終結後に遡ります。


終戦後の焼け野原になってしまった日本。
それを私たちのひいおじいさん、ひいひいおじいさんくらいの世代の方が、

日本の復興にはたくさんの建築資材が必要になると考え、

当時のメジャーな建材である杉や檜をたくさん植えようとしてくれたことが一因と言われています。

もちろん、当時の政府の方針もあったでしょうが、とにかく今見えている人工林のほとんどが戦後、子や孫が家を建てたりするときに役立てて欲しいと、ご先祖さまたちが植えてくれた思いの結晶と言えるかもしれません。

そうしてせっかく植えてくれた財産ですが、生活や社会基盤も変化した現在の私たちは、なかなか上手く取り扱えていないのが現状です。

今も多くの人や団体が、人工林を手入れしたり伐り出して、適切に使うことを模索しています。

そして私は、なんとか今ある林自体を楽しむこともできるのではないかと思うのです。

実は「フィトンチッド」という、人間にも免疫力をあげるなど好影響のある物質は、広葉樹林より針葉樹林に多いと言われています。

また私は明るい広葉樹の森だけでなく、手入れされず魚の骨のように枝が生える針葉樹林の暗さにも、心の落ち着きを感じることがあるのです。

 

きっと、その時その人の気分に合った森があると思います。

明るい広葉樹の森だけでなく、暗くてちょっと湿った針葉樹の森にしかできない癒しもあるのだと思います。

花粉な時期のお付き合い

こんにちは。

つながりが回復する森林浴案内「森と魔法」です。

日差しも冬の頃より輝きを増し、気温にもすっかり春を感じます。

みなさまいかがお過ごしでしょうか?


どこかワクワクする春の訪れですが、一緒にやってくる花粉症にお悩みの方も多いのではと思います。
何を隠そう私もです。


それでもたまに森林浴に出かけるので、
「こんな時期に山(森)に行くの!?」と驚かれることも。

現代の日本の山の多くは、戦後に植林された杉や檜の針葉樹がメインです。
私の住む島根県も同じくで、この時期は花粉と黄砂による鼻炎に悩まされることしばしばです。

じゃあなぜそんな時、花粉の巣窟とも言える山に自ら入って行こうとするのか…
鼻炎薬を飲んでまで…(そして薬の効果を超える花粉を浴びてぐしゅぐしゅになります)

けどこの時期にしか見えない森の景色があり、このあと控える圧倒的な新緑の季節を前にした静けさがあります。


もちろんしっかり防備して(薬の力も借りつつ)。

束の間のあわいの季節を楽しむのです。